オスマン・トルコ帝国の皇后・ヒュレム妃(ロクサレナさん)は、
”奴隷皇后”_________と題されるように、
タタール人に捕えられ、奴隷としてオスマン・トルコに売られ、皇帝に献上されたウクライナ女性。
私も数年前に、はじめて、”奴隷皇后”というキャッチコピーに衝撃を受け、
興味を持って、このシリーズを見始めたのがきっかけだったのですが、
(それまでは、そのような来歴の皇后がいた、というのを全く知りませんでした・・ 汗;)
この ”奴隷皇后”、______ というネーミングに、私も同居のスピさん達も皆 ドキリ としながら、ドラマを楽しみました______。
ちょ~っっとね、いろんなところで取り上げられているヒュレムさん像とこちらの霊信によるイメージがだいぶ違うので、
比較しながら進んでみましょう・・ では・・!↓
参考①【歴史観によって大方の人が想像しているヒュレム像】
タタール人により、征服奴隷として捕われ、皇帝のハレム(後宮)に献上された。スレイマン大帝の寵姫となり、立て
続けに皇子・皇女(6人 *うち2人は早産だったり、夭折。)を成し、先の寵姫ギュルバハル(マヒデブラン)を押さ
え、正式なオスマン帝国皇后となり、権勢を奮った。
参考②【篠原千絵さんのマンガ『夢の雫、黄金の鳥籠』で捉えられているヒュレム像】
篠原千絵さんが捉えておられるヒュレムのパーソナリティは、
「機知に富んだ、頭の良い女性」像です。
それでは、霊視に入りましょう・・。↓
典型的な東欧ロシア人的容姿特徴を備えた女性。
下半身が太く、たくさん子を成せるじょうぶな体型。
あ、案外ね・・ ”庶民的”な顔立ち・・
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるヒュレム妃
ヒュレム妃は、
目が「ひとえふたえ(象嵌=※一重に近いぐらい二重線の幅が大きくてはっきりしない二重)」
で、私の霊視画で二重線をだいぶ上のほうに書いたらどういうわけか似てなくなっちゃうので、
顔を似させるため、二重線は近く描きましたがご容赦ください。
で、アラブ風の化粧を施したのがずっと下の画像の顔になります。
天界・神界のご神仏、精霊さま達から伝達された霊視によれば、このような顔立ち、とのことです。
どちらかというと、
外国人でも、いわゆる ”地味顔”になるのだと思います・・。
(’クラシカル’ な風貌・・)
「男の人を楽しい気分にさせる気取らない、牧歌的で地味なキャピキャピ感のある女性・・・」
(うまく伝わったかしら・・)
男のヒトがいっしょにお酒を飲んだら楽しいかしら・・??
男の人のおだて上手、明るくて気取らない楽しい会話、、の人
→ つまり、男性が ”息抜き ”するのに、ちょうど良い女性のタイプなんだ。。
(・・→・・、ていうと、思い当たる現代の女性の職業があるはず・・、、)
スレイマン大帝と楽しくお話する時のヒュレムさん・・
(※また、霊信では、
オスマン帝国のハレムでは、「女性は慎ましくあるべし」、
という風潮があったため、外国人であることもあったのでしょうが
ヒュレムさんのようなキャピキャピ・キャラ☆☆・・というのは、
ちょっと異例だったようです・・汗;
ましてや、皇帝に対して、、ですよ・・?
でも、一人の男性にとっては、そういう女性がまた新鮮でかわいらしく、心を捉えられた、のかもしれません・・)
アラブ風の濃い化粧を施した顔
美人、といえば、
第一寵姫であったギュルバハル(マヒデブラン)さんのほうが、
正統派美人だわね・・
(ギュルバハル=※「春の薔薇」の意)
この花のような美人にヒュレム妃が結果的に勝った理由は・・
スレイマン大帝の、夜のある性的嗜好=「シチュエーション」(ややアラブ的)にヒュレム妃が合致したから・・
(内容は、スレイマン大帝が ”「無礼な・・!」”と大変お怒りになりますので、控えます(/ω\)
これ以上は書けません・・)
ヒュレム妃は、
「魔性の女」とか「策謀家」と歴史的に評される事もありますが・・
天界の神体の霊信によれば、
「話しやすい明るい気さくな人。。 かと思えば、気配りのできる気のつく女性でもあり、しっかりしたたかに賢い面もあり・・、ちょっとひと言で言い得ないいろんな面を持った人柄。。」
要は、いろんな面を持った多面的な人柄。。、ハレムのように ”女の争い”が渦巻いていそうな世界にあっても、あんまりね、いわゆる「邪心」っていうのがない女性だったようです。
スレイマン大帝は、どちらかいうと国母として、賢い女性、、が理想だったのだけど・・
・・
どうも、この明るいウクライナ女性にやられちゃったみたい・・
心臓ドキューーン・・!
皇帝の自然な愛情により、奴隷の身分から誰も成し得ない地位まで押し上げてもらったの。。
王宮で奉られ、皆にかしずかれ、誰も成し得ないシンデレラ・ストーリーを成し得たすごい女性・・
とのこと。
だからといって、「増上慢 (//*慢心してえばったり、ツンツンしたりだとか、我が物顔になること。)」になる
でもなく、
ふんわりとやわらかな春の陽射しのようなあたたかい人柄であったこと、
そういう善良な性格が福徳を招いたのだ、とパラレル・ワールドのご神仏は評価しておられます。
(私): 「私の個人的な感想では、まだ多感な少女の年代に言葉が全く分からない異国に連れ去られ、さぞご苦労したのではないでしょうか・・?」
(天界のご神体): 「それがね、案外ね・・、 ”生真面目”、、っていうか、そういうね、努力家な面も多分に
持っていて、あんまりね、後宮のなじめない生活・風習でも、よくそれに従って、イブラヒムのようなインテリ層
にもかわいがられて生きた女性。」
(私): 「柔軟な女性・・ ということですよね。」
(天界のご神体): 「はったりかまさずね、負けん気あるタイプ(負けず嫌い)なんだけど、自分はガタイが大き
く(大柄)・目が斜視気味で強面(コワモテ)に見られちゃうから、そういうの ’隠す' ため、’明るく穏やかなにこ
やかな笑い声で' カムフラージュ・・」
※だからね、ヒュレム妃は、自分でも、美人だとかかわいいなんて全然思ってもいなくて、ガタイがデッカくて、
見た目ぱっとしない、かわいくないタイプと自分でも思っていたみたいなんです・・。
(私): 「 ’世渡り上手・・’!」
(天界のご神体): 「全く その通り。・・(汗;)」
(天界のご神体): 「それでね、【歌】を歌うことで、自分の存在を示したの・・。その明るいやさしい歌声の中に
、さらに遠い自分の生まれ故郷から侵略者にかどわかされて連れてこられた自分の苦境・境遇を詠み込んだ歌を・・!
その悲しい歌詩の内容が、これから一緒に人生を歩んでいく伴侶、ここから連れ出して欲しい人、つまりスレ
イマン大帝の足を誘ったのかもしれない・・。」
※遠い異国に、侵略者に拉致されて連れてこられて、ハレムに入れられて、
ハレムの豪奢に着飾ったきらびやかな御人・側室達を見て、
「なんとか、ここから這い上がってやるわ。。」
みたいな、心の底にそういう野心、、まではいかないけど、
やっぱりね、一応、そういう気概、プチ野心、みたいなものは確かに持ってはいたようですけど、
なんかさ、何か悪巧みを考えて他人を陥れて蹴散らして・・、とかそういうタイプでは全然なくてね、
かといって何にも考えていないタイプでもないから、
何か策を講じるにも明るくプチかわゆくやるタイプ・・
つまり、そういうのにも邪心がないタイプ・・
※やっぱりね、けっこう、深く霊視してもらうと、やっぱり人ってすさまじい・・ (*_*;
※私個人的には、ヒュレムさんて、柔軟ながらもすごく複雑でつかみどころがないタイプ・・。
やっぱり「◯o◯” 譲 向いてるよ・・」って思ってしまう。。
※いろいろなんでしょうけど、ご神仏様達が評価しているのは、
やっぱり、悲惨な境遇にもめげず、努力して懸命に生きたからだ、ということです。
なるほど・・。
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるスレイマン大帝
男前ですよね・・。
整ったハンサムなお顔立ちだと思います。
スレイマン1世の治世に、周辺の領土拡大の度重なる遠征を成功させ、国家統治の最盛期を迎えた。
”壮麗王”と称されるとおり、
霊信によれば、
度重なる対外遠征費、豪奢な建造物、自身の豪奢な着衣・後宮の豪華な運営費、などに国家財源が投入された、とのこと。
さらに 霊信によれば・・
在位期間中、東欧・中央(ハンガリー、ウィーン)への長期にわたる度重なる海外軍事遠征、
領土拡張と海上交易路の掌握、、への軍事費用等々・・、
豪奢な宮廷運営費、壮麗な建造物の建設・・
それらにより国家財産を疲弊・窮乏させ、
体制への不満からトルコ周辺部族との対立も招き、
イェニチェリ(軍)の不満を招き、内乱が勃発した・・。
手厳しい言い方をすれば、
このように国家財源を過度の贅沢により消費するのは愚の骨頂・・。
それが原因で、
新しい反体制派(イェニチェリ)が台頭し、
反乱が勃発したが・・
それは、ムスタファ(マヒデブランの息子)を中心とした反対勢力であり、
そちらのムスタファ派のほうが支持者が多くまともな考え方の勢力、であったこと。
つまり、ムスタファ派が政権を執ったほうがまともな国政になったであろう、ということで、
一般的に知られる史実と一致しているようです・・。
多くの歴史観で、
ヒュレム妃が策謀をめぐらし、ムスタファ皇子を追い込んだ・・、みたいに言われることもあるようですが、
霊信によれば、そうではないとのこと。
あんまりね、あこぎな女性ではなかった、とのことです。
ドラマ『オスマン帝国外伝』の物語に照らし合わせた時代背景・キャスト・それぞれの人生などを書くと、
それこそ膨大な記事になってしまうので、
今回は、ここまでで、ヒュレムさんのパーソナリティ止まり、で簡単にしておきましょう。。
ヒュレム妃は、オスマン帝国の従来の伝統であるハレムの一夫多妻制を変え、皇帝と法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一妻の関係を築いた女性で、
どんなパーソナリティの女性なのか、私もですが、
みなさんも、気になったかもしれませんね。
また、お正月にふさわしい豪華なトピックですね。
今日はね、韓国の歴史で聖君(善政を敷いた王様)として有名な英祖の生母・淑嬪崔氏を霊視します。
朝鮮王朝・粛宗の妃嬪ですかね。
(しばらくぶりの投稿で、お題は何にしようかな~、と悩んでましたら、
天界・神界のほうで、ご指名ありましたので、淑嬪崔氏にしました。)
淑嬪崔氏については、韓国歴史ドラマで、いくつか作品化されているようですが、
最近の作品ですと、イ・ビョンフン監督の『トンイ』がありますが、
(*イ・ビョンフン監督作品は、韓流歴史ドラマで唯一、暴虐な拷問シーンなど極力ない
子供でも安心して見れる、日本でいうならば、NHK的要素を持った
”安全韓国歴史ドラマ”なので、同居の子供スピさん&動植物スピさん達と
非常に安心して観れますv。)
イ・ビョンフン監督作品『トンイ』で描かれる淑嬪崔氏は、
賢く、すばしこく立ち回れる、気取りがない性格、、 の女性像
として描かれていますよね。
韓国ドラマでは、女優のハン・ヒョジュさんが、トンイを爽やかに好演してらっしゃいましたが、
実際の淑嬪崔氏は、どんな女性だったのでしょうか・・?
霊信により、伝えていただきましょう・・。
※淑嬪崔氏に関する ”一般的史実” はこちらでどうぞ..↓↓
【天界による霊視と霊信・・】
私どもの霊視による淑嬪崔氏
色黒で目が小さく、小さい目のクリっとした目。
顔のパーツがどれも小さく、鼻が丸い、愛嬌のある感じ・・。
美人ではない・・。
老人になった時のヴィジョンも併せて見せていただきましたが、
この顔のまま髪が白くなった状態で、小さいクリッとした愛嬌のある目は変わらない・・
そのような感じ・・
淑嬪崔氏に関する有名なエピソードとして、「水汲み」女官・・ と言われて、
揶揄されたり馬鹿にされた・・
・・・というエピソードがありますが、
霊信によれば、
宮廷の雑事を担当する女官・・
なのだそうです。
でね、なぜ粛宗の妃嬪、という立場になれたのか・・
霊信によれば・・
(天界の神体): 「粛宗が酒に酔ってふらついていた時、たまたま部屋の雑事をしていた淑嬪崔氏を後ろから眺めて、まめまめしく立ち働く腰のあたりにむらむらっときてしまった・・」
・・のだとか・・
(※注:霊視によれば、”色っぽい”腰つき、だとかそういう感じではなく、身分の低い女官なので、白衣のチマと普通並みの腰体型。 なにぶん、酔っている時であったので、タイプだとかそんなではなく、” なんとなく・・ " そんな感じになったようなのです。)
この冬 (2020年11月~12月) 、わたしの身辺に起こった心霊エピソードです。
霊信と似顔絵に関するエピソードですので、このサイトの歴史似顔絵にご興味おありの方は、
今回の記事も関連しますので、ぜひ併せてお読みください・・
この秋に、主人の友人であるZさん(すいません、なるべく個人を特定しずらいよう仮称Zさん、としておきます)という男性がお亡くなりになったのですが、
Zさんは、主人と昔からの友人で仲がよかったのですが、
うちの主人があまりマメな性格でないため、ずっと長年ご無沙汰にしており、
Zさんが亡くなる直前になって、主人とZさんの共通の知人であるZさんの奥様が、
疎遠であっても二人が仲が良いのを知っていて、
「もうダメかもしれないし、最後に会うなら今が一番いいから・・」と連絡をくださって、
主人は面会に行ったりしていたようでしたが、冬の前にZさんがお亡くなりになったんです・・
で、お亡くなりになった際に、奥さまのほうから、
「よかったら、ぜひ奥さん(←私のこと)もこちらの自宅に一緒に来て、お線香あげてやってください。」と。
私と主人はずいぶん年が離れており、主人とZさんとは学生時代からの友人のようですが、
主人が結婚した年が遅かったこと、お互い家庭生活などもあり、ずいぶん疎遠にしていたこともあり、
私自身はZさんには一度もお会いしたこともないんですが、
話だけではZさんのことを時々主人から聞いていたこともあって、
お会いしたことはまったくなくても親近感を少し持っておりました・・
それでね・・ ここから霊の世界の話に入るんですが、、
私自身が霊の世界の扉が開いている人間ですので、
Zさんがお亡くなりになってから、すぐZさんの霊さんと(亡くなって、初めて!)同調により、
面会できたのです・・☆!
(Zさんも、話では私のことも少し聞いていて、「いつか、みんなで飲みましょう・・!」と思っていたのが、亡くなって初めてわたしと面会が叶いました・・)
で、Zさんは、亡くなるに際して、重い病の末にお亡くなりになっており、体が思うように動かせない想念でずっと幽玄界あたり(つまりずっと下のほうにおられて)、
こちらのご神仏様のとりなしにより、上のほうに上げてもらって、一緒に話したり、
私のそばから主人を見下ろして、難クセをつけたり・・(・・つまり、ずっと疎遠にしていたことをなじり・・)
していました。
Zさんが亡くなって、日にちが経ち、ご自宅に伺って(わたしはご自宅に伺うのも初めてになります)お線香をあげに行く日が近づいたので、
Zさんが近くにいて霊通信していることもあり、
どうせならそばにいるZさんの似顔絵を描いて、奥さんに渡してあげよう。。
と思いついたんです・・
でね、
私は、
そばにいるZさんの霊の顔を元に似顔絵を描き始めました・・
(私):「(主人に向かって)Zさんて、メガネをかけていた・・?」
(主人):「・・・・・・・(ノーコメント)」
うちの主人は、無頼派で自分の証明写真とかはもちろん持っていますが、
写真というものをあまり持っておりません。
(別に不細工とかそういうのではありません、男前のほうだと思います・・)
もちろん、Zさんの写真なんてのも全く持ってません・・。
(・・というか、私が見たことがないだけなのか、主人の実家にでもあるのかもしれませんが・・)
それに、私の主人は、秘密主義なところがあり、
だから、私がさっき、
「Zさんて、メガネをかけていた・・?」と聞いても、ノーコメント、無視(´Д`;) よけいな事は言わない・・
(注:ちなみに、うちの主人というヒトは、理系で霊の存在やその世界を全く信じないタイプで、
主人のお母さんが亡くなって霊体になった際の様子を私が話しても、、
「いい加減なこと言ってんじゃねぇ・・!」
とにかく物理的に根拠がないことは全く信じない・・
そういうタイプです・・)
でね、、(そういうヒトだから、主人に隠れてナイショで)似顔絵を描き進めていく時に「えっ???(゚∀゚;)」と
面白いことに気付いたの。。
Zさんに霊の世界で初めてお会いするまで、
60代後半の男性の姿、、として、
(「イメージ」ですよ、、)
どちらかというと、「薄顔(つまり年をとってあまり印象のなくなった「しょうゆ顔」)」で、「髪は短髪で。。」なんて、勝手に ”想像” していたんですが・・
・・
なんかね、そばにいるZさんが、(私が、「似顔絵を描いて、お線香をあげる日に奥さんに渡しますね。」と言ったら)、顔を近付けてきて・・
その姿がね・・
「えっ こんなんアリ・・???」っていう感じの髪型だったワケ・・
菅原洋一さんて、知っとる・・?
(私):「えぇぇっ?? 今どき そんな髪型アリ・・???」
(※ちょぉぉっとぉ 今どき かなり 珍しいですよね・・汗; モチロン顔立ちは全然違いますケド・・ それにしても、今の時代ではかなり珍しいカミガタ・・)
・・それでね・・
「①メガネ + ②菅原洋一さんの髪型(笑)+ ③ギョロ目」
で、出来上がった似顔絵は・・
Zさん
(※ここで、目を描き入れてしまうと、個人特定につながってしまいますので、あえて目は描き入れないでおきます)
Zさんは、大きなギョロ目をしているのですが、
Zさんが近くにいた時、またたぶん本人もより目を見開いていたため、元々大きな目がより大きく強調されていたせいか、私が ”勝手に” ギョロ目=二重まぶた、と思い込んで、二重の大きな目を描き入れてご自宅に持参したんですが、
まずご自宅に招き入れられて、わたしが突進した先は、ただ一点。Zさんの顔写真・・。
実はですね、
霊のヴィジョンで視たZさんの髪型が、イマドキかなり珍しい髪型だったため、
「ひょっとしたら、霊信が違ってるんでは・・?!」
とかなり心配だったんです・・ だって、あんな(なんて言ったら失礼だけど)珍しい髪型・・
でね、「あっ」と思ったのは、
ギョロ目が失敗した・・↓
お写真で実際に見たZさんは、ギョロ目はギョロ目なんですが、これまたかなり珍しい
一重ギョロ目・・
(Zさんは、一重でこれだけ大きなギョロ目、、ということは、かなり目のきれいな男前のお顔立ちだったんですが、わたしがギョロ目=二重の大きな目、、と勝手に思い込んで、目だけ失敗しました。いやー、わたしも50年近く生きてますが、一重でこれほど大きな目をしたヒトは見たことがありません・・汗; かなり珍しいケース・・)
あとはね、メガネだとか髪型だとかのほかの特徴はピッタリ一致・・
(一番びっくりしたのは、うちの主人ではないですかね。。
それ以来は、私が霊世界の話をしても、聞くようになりましたね。。)
いやー、今回、私の思い込みで、目の二重線のところだけ失敗しましたが、
そもそも考えてみると、最後に天界・神界のところで添削確認をしてもらえばよかったのです・・!
・・というのは、私が毎回作成する歴史上の人物の似顔絵は、
最期に必ず、天界・神界の境界で顔を確認してもらい、90点以上の精度になるまで手入れをし、お墨付き(最終確認)をもらってからアップしているのですが、
今回、このZさんの時は、それもやらなかった・・↓
今回のZさんの件は、大変よい経験になりました・・
ファン・ジニ(黄真伊)さんは、李氏朝鮮時代の有名な妓生 (芸妓 ※芸を売って身を立てる、日本で言うと芸者さんのような職業の人)で、伝えられているところによれば、妓生といってもいろいろあって、ひどいのでは体を売って男性の相手をするようなのもいる中、大変教養と学と芸を持ち、他の妓生とは一線を画す ”風流人” として妓生でありながら独自の地位を築いた女性として大変有名です。
歴史上有名な人物は、彫像や絵画(肖像画)というものが残されていますよね、、
だいぶ前にファン・ジニさんの絵姿を検索した時にネット上に挙がっていたのが、下記の2枚の絵・・
これは、おそらく間違いなく李氏朝鮮時代に描かれたファン・ジニさんの肖像画で有名なものだと思うんです。
李氏朝鮮時代の山水画=つまりこのような線画スタイルだと思うのですよね。
で、絵の中に、「黄真伊」(ファン・ジニのこと)と名前が書かれていますしね。(この2枚は、当時に模写されたファン・ジニさんの絵姿に間違いない、と思うんです。)
ただし、線画スタイルの肖像画の難点は、単純な線だけで表現されているがために、
リアルさがない・・ そういう所だと思います。
↑こちらの絵の顔は、日本人的顔に描かれていますね
↑こちらの絵の顔は、どちらかいうと目がツリ目気味に書かれてますね。こういう目元がキッとしている方が”韓国人的”ですかね・・
*私共が霊視した顔は上記2枚でいうと、どちらかいうと、「どちらか」ですよ、下のこの絵のほうが近いですかね・・
(ファン・ジニさんの肖像画で検索すると、上記2枚が挙がってくるんですが、もしかしたらなんですが、もしかしたら、1枚目には「黄真伊」の名前が入ってないんで、妓生を描いたもので、ファン・ジニさんではないのかもしれません・・)
いずれにしろ・・
*筆による線画スタイルの難点は、リアルさがないため、
似顔絵が似づらい・・という点が挙げられます。
でね、ご存じのように、この歴史ブログは、天界・神界からの人物の生涯霊視を聞いたり、似顔絵を作成したりと、けっこう疲れるということもあって、あまり更新できないのですが、
先にファン・ジニさんの霊信による似顔絵作成をしているうちに月日が経って、最近記事アップ日近くになって、もう一度、ファン・ジニさんの肖像画を検索すると、こんな肖像画が新たに加わっていた・・@@;! しかも、顔がえらいリアル・・@@;;
いわゆる、男好き(=男が好む)ような顔の肖像画が画像検索に新たに加わった・・
【最近、ネット検索で、新たに加わった、ファン・ジニ(黄真伊)さんだという肖像画・・】
正直、焦りました、、
だって、こちらで霊視した顔とまったく感じが違う・・ (まるで別人・・)
※でね、もし、この最近加わった上記の美人画が本当に、朝鮮時代のその当時にファン・ジニさんをモデルに模写された1枚だとしたら、こちらの霊視が全く違っている、ってことになりますもんね。。(汗;)
(そしたら、私も腹をくくって、お詫びの一文と共に、この歴史ブログの筆を折らねばなりません・・)
*これに関連して、最近、霊信似顔絵に関しておもしろい一致霊体験をしましたので、次の記事『霊信似顔絵が一致したエピソード・・』も併せてお読みください
でね、新しく加わった上記の美人画なんですが、、
ものすごく ”リアル” ですよね。。 (絵画用語で、「写実的」というのかな・・)
この絵に関して調べてみたんですが、かなり大変でした・・(・・というのは、簡単には、この絵に関する情報を得られなかったということ・・)
私が ”一見” ですが、この美人画を見ると、なんとなくですが、中国とか北朝鮮あたりの、いわゆる男性が好む美人画のように見えたんですよね・・
で、私はハングルとか韓国語は全く分からないんですが、
この絵(画像)を大きく拡大すると、向かって右側に、おそらく、絵の作者・・?らしきハングル文字が見える・・
(「2005년」とあるから、2005年・・?という意味なんでしょうか・・?)
で、ちょっと今回、私がハングルが全くダメなんで、
有料サイトで、韓国人ネイティブで日本語ができて、教師職をしておられる真面目そうな女性を探して有料で(そのようなサイトがあります)、この絵に関して教えてもらいたいと依頼をしてみたんです・・。(モチロン、”前世占い師エティース” という私の素性は隠したまま、純粋に絵のことだけに関する質問をしたのでした・・)
・・そしたらね、、
その韓国人の女性教師さんの回答では・・
(韓国人女性教師): 「以下にご回答させていただきます。
まず、
①개성 명기 황진이
→ (開城・ケソン) (名妓) (黃眞伊・ファンジニ)
となり、ケソン地域の有名な妓生、ファンジニという意味
②2005년 김선화
(2005年)(キムソナ)
こちらですが、
琴の弦に隠れて文字が若干見づらく、もしかすると
김선희(キムソニ)の可能性もあります。
(既にご存知かと思いますが...念のため)、
絵の左側、ファンジニが書いている詩は
「청산은 내 뜻이요」という
青い山のように変わらない(私)の心と、緑水のように変わりゆく(あなた)の心を
うたった詩のタイトル部分、一小節目が書かれています。」
・・という回答で、、
つまりですね、、
この後からネット検索に加わったファン・ジニさんの美人画のほうは、
「2005年製。」、つまりまだごく最近描かれた絵画だということが分かったのでした・・!
(印鑑=落款も押されてますしね・・)
(つまり、後から検索に加わったほうの絵は、現代に描かれたファン・ジニの「空想画」だということが分かりました・・!)
(よかったです・・! このブログも続きます・・)
(・・と同時に、別の意味でヨカッタ・・
だってこの絵の顔立ちは どう見ても ”理知的” には見えない んだもの・・)
_____________________________________________
私共の霊視によるファン・ジニ(黄真伊)
天界・神界の伝達によれば・・
(パラレルの霊信): 「ファン・ジニさんは、高貴な身分の人に思いを寄せられたことがあって、自分もその人を(男性として)いいな、と思っていたんだけど、なぜか、反対の態度=つまり気のないフリ、をしてしまったのだ・・」
(パラレルの霊信): 「たぶん、とぉ~ってもね、身分の高い人だったために、自分の気持ちを隠してしまったのかもしれない・・。妓生の華やかな世界にいるけれども、妓生というものはとぉ~~~~っても身分が低く、引け目を感じてしまったのかもしれない。。」
霊視により伝達されたファン・ジニさん、すごい美人 だと思いません・・?
現代の韓国は整形大国、としても有名ですが、李氏朝鮮時代の韓国女性、、て、想像するに、
おそらく一重まぶたできりっとした地味顔女性が多かったのでは・・?と想像しているのですが・・
霊視によるファン・ジニさんは、奥二重できりっとしたはっきりした目元涼しい理知的な感じの、その時代の東洋人女性としてはかなりの超絶韓国美人、と言っても過言ではないかと思います。
(パラレル): 「嘘偽りなく、(琴を弾くヴィジョンと共に)花のような(容姿の)女性。」
そんな超絶韓国人的美人だったのに、身分に引け目を感じて、そんな風に思うものでしょうか・・
みなさんは、韓国ドラマの『推奴~チュノ~』を観たことがありますか・・?
主演のチャン・ヒョクさんの演技がすばらしかったですが、『推奴~チュノ~』だけでなく、韓国歴史ドラマに多く描かれるのが、奴婢(※奴隷=戦争などで征服された土地の民)などの下層身分にある人たち・・
ほんとにね、ひどい扱いをされて虐げられている様子でよく登場するんですよね。。
人間というものは、同じような立場・経験をしなければ、そのような気持ちというものは決して本当には理解できないものです・・
(韓国の歴史と身分制度については、また今度、ゆっくり別記事を設けてみたいと思っています。)
まあ、韓国の身分制度にも階層があって、ファン・ジニさんは、そんなにすごい下ではないんですが、
その区分けにより段階が違うと、かなり厳しく差別・区別されていたようなんですよね、、(´Д`↓)
もうちょっと、ファン・ジニさんの人となりを視てみましょうか。。
ドラマ『ファン・ジニ』で女優ハ・ジウォンさんが演じるファン・ジニの人物描写は、
天分の芸術性に加え、とても気が強く、気位が高く、生意気そうで、男を凋落させる美女、、という感じですよね・・
韓国ドラマ『ファン・ジニ』 主演のハ・ジウォンさんの妓生姿が美しすぎます☆
(上記のイメージだと、ハ・ジウォンさんはピッタリですよね・・)
一般のファン・ジニさんを知るヒトのイメージって、やっぱり上記のようなものと一致しているかと思うんですよね。。(私もそうでした・・ 以下のメッセージを聞くまでは・・)
パラレルの伝達によれば、
” 真面目 ” だっていうんです、ファン・ジニさん・・
そりゃ本当にそうかもしれません・・
だってさ、芸事(詩作・漢学・琴カヤグム・編曲・水墨画・・)を芸術的に極め、しかも身分制度厳しい李氏朝鮮時代、しかも身分が男性よりずっと低いとされていたであろう女子でありながら、これだけの芸事に通じ、本人そのものを芸術の域まで高めちゃってる、、って、
相当の努力家 ですよ、、間違いなく・・
それでね、すごくお美しいでしょ、だからさ、なんか恋愛遍歴豊富で、男をたぶらかしてそうな イメージ持たれがちなんですが、、
意外にも、
パラレルの伝達では、
(恋愛において) ”一途”・・ とのこと。
ご自身は、身分の違いだとかに引け目を感じていたようですが、
私からすると、
それだけの後世まで名をとどろかす芸術的才能と美貌があって、出自が完璧に良いよりは、かえって出自が若干低いぐらいのほうがより魅力がまして、魅惑的すぎます__________!!
(これで、もし例えば出自が両親とも特権階級の両班ヤンバンとかで完璧だと、不思議とドン臭く感じられるかも・・)
そして、さらなる伝達では、
ファン・ジニさんは、人の話や気持ちの理解に長けていた人・・ というのです。
(もちろん、それだけでなく、華やかな妓生女性の世界ですから、ピュアなだけでは生きてはいけません。もちろんその女性の世界で、やっかみやいじわるにあったり、自身も駆け引きをしたり・・ 人間の人生というものは、そんなに単純ではありません・・)
(だからね、男をたぶらかす、のではなく、男が「勝手にコロリ」となっちゃうのよ・・ そういうヒト、ファン・ジニさんて・・)
「始皇帝(秦王・嬴政:エイセイ)」といえば、古代中国の戦国時代(秦) の時代に一大国家を築いた不世出の英傑であり、周辺異民族の侵入を防ぐ万里の長城を築いたことでも有名ですし、
古くから、その生涯は、小説や映画などに取り上げられてきました。
漫画・アニメの『キングダム』の主人公として、また近年では、実写版の映画『キングダム』も作られ、マンガ作品自体も非常に面白く描かれてますよね。
映画『キングダム』は、私も、同居の大家族スピさん達と劇場に見に行きましたよ。
判断力のある不世出の英傑。わりと当時にあっては大柄なほう(170cm ぐらい。この時代に170cmあるのは大柄な方だと思います)。
パラレルの天界・神界からの伝達では ”男前のほう” とのこと・・。
現実的で目的遂行型の人物だったようです。
始皇帝 (嬴政:エイセイ)
見開いた眼が印象的で、額がひじょうに広いです。
鼻が横から見ると鷲(わし)鼻なんですが、正面向きで描いているため、その鷲(わし)鼻の特徴をうまく出せませんでした。
(今回いただいたビジョンは、アゴが細いので、若い頃の始皇帝のビジョンのようです・・)
天界・神界の霊信による始皇帝の実人生の霊視は、とてつもなく強烈であまりに激しく、また「とてつもなく悲しいもの」でした。
至高の大帝国を築き、栄華を築いた人生を「とてつもなく強烈であまりに激しく」と言うのは分かるんですが、「とてつもなく悲しい」人生とは、いったいどういうことなんでしょうか・・?
実は、始皇帝という人は、霊的世界でいうタブー ”大罪” を2つ犯した人だったんですね。
霊信では、始皇帝は、死後にその真実(犯したタブーの1つ)を知ることになります。
現在の始皇帝の魂は、こちらの世界(心霊世界)のほうで、愚行を購(あがな)ってらっしゃいます。
だからね、歴史の史実として知られる人生とは別に、今回霊信で伝え聞いた内容があまりに悲しすぎて、それを書くことはここではとても憚られます。
だからね、今回は、人物の実人生の詳細を書くのはやめます。
本人含め、当事者さん達の御霊もそれを全く望んでおりませんので・・。
それだけ、悲しいものなのです、その内容が・・
悲劇的すぎる ・・。
始皇帝・エイセイの父は呂不韋ではないか、というのが、大方の見方・歴史観として有力とされていますけれど、霊信ではこれも全く違っていて、かというと、先王の荘襄王(ソウジョウオウ)かというとそれも違う・・
(始皇帝と荘襄王(ソウジョウオウ)は、霊視によるモンタージュでは顔立ちはとても似ていますが、霊信によれば、父親は別の人物でした。)
霊信の内容があまりに悲劇的ですので、
霊信的歴史内容を詳しくお知りになりたかった方にとっては今回は「つまらない」と思われるかもしれませんが、
当事者にあたる人達の心情をかんがみると、とてもではないですが、
今回わたしは詳細内容を書くことが人間としてどうしてもはばかられます。
それだけ、その霊信内容がこれ以上ないほどキョーレツであった、ということです。
ですから、一般に伝わる歴史的 ”史実” というものは、その中に内包する知られていない内容、もしくは通説とは全く違う内容、というものが、往往としてあるのではないか、とも思うのです。
ですので、今回は、始皇帝の人物霊視記事はやめまして、
始皇帝の周辺人物も併せて簡単に霊信で記しておき、
今回は、「あえて」、ミステリーのままにしておきますので、
みなさんご自由に、想像をめぐらしてみてください・・。
呂不韋・・・商人から荘襄王(ソウジョウオウ) の丞相(最上級官僚、、といったところでしょうか・・) まで登り詰めた非常にやり手な人物。
性格は、始皇帝エイセイと非常に似ています (現実的で目的遂行型)。
霊視によるビジョンでは、外見は柔和でスマートな容姿をしています。
趙姫さん・・・(う~んと・・遊女さんだから男性を満足させるのがとてもうまく、派手であか抜けていて、とぉ~っても色気匂い立つ大人の女性、とのこと(*^_^*;;)(荘襄王(ソウジョウオウ)の御霊の言によれば)
※霊視によるお顔立ちは、美人というよりは、普通寄りでした。
私からすると、趙姫さんという人を一言でいうなら・・「性愛の人。本当に愛した人の子どもだけ生みたい・・、そういう非常に女性らしいタイプ。」
嫪毐(ロウアイ) ・・・ 美丈夫・肉体派。やさしい武人系顔。
なんだかね、すごく下品なんですけど、・・そのね、ロウアイというのは、パラレルの伝達によれば、なんというのかな・・、当時、女性を早く昇天させるエッチな賭け事(男の遊び)で盛り上がっていて有名なヒト(名を馳せていた ※ヘンなコトでですが 汗;笑;)だったというんですよね・・・゚゚・。。
荘襄王(ソウジョウオウ) ・・・ 荘襄王(ソウジョウオウ)は、35歳と、わりと早くお亡くなりになっていて、在位3年と短く、その後の人生は一般に知られていないようなんですけど、パラレルの伝えるところによれば、荘襄王(ソウジョウオウ)は自殺をしたのではないかとのこと、というのはですね、御霊がね、自殺者の霊が行く境界にいるからなんですけど・・。
以上が、始皇帝エイセイさんの周辺の主な人物達です。
始皇帝を含めた関連人物達の一般に知られる歴史的エピソードは、とても有名で、
(以下、私的にざっとまとめた一般的史実ですが・・↓)
*「始皇帝の先々王である秦国の孝文王(安国君)の正室・華陽夫人との間に子がなく、継室断絶の悩みに付け込んだ大商人・呂不韋の働きかけにより、趙国へ人質に出されていた孝文王(安国君)の側室腹の荘襄王(ソウジョウオウ)を養子にするよう働きかけ、呂不韋は、荘襄王(ソウジョウオウ)を秦国の次代の皇帝に据えることに成功した(呂不韋は、先回りして、趙国へ人質に出されていた不遇時代の荘襄王(ソウジョウオウ)と知り合いになっていた)。もちろん、そこに呂不韋の「計算」があったことは間違いないでしょう・・(有名なコトバに、”奇貨居くべし” というのがあって、これは、「これは珍しい価値を生み出す人物だ。我々が投資すべきだ (奇貨居くべし) 」の意)。
で、呂不韋は、荘襄王(ソウジョウオウ)が気に入った自分の愛人(趙姫さん)を与え、丞相という地位を得、荘襄王(ソウジョウオウ)の死後、始皇帝の母が王太后となったが、以前自分の食客であった女性のお相手に長けた嫪毐(ロウアイ) という男性を宦官として趙姫のそばにはべらせ、骨抜きにし、呂不韋自身が政治の実権を握った。後に、嫪毐(ロウアイ)は、クーデターを起こしたが、失脚し、車裂きの刑に処され、嬴政エイセイが始皇帝として即位した。 」
みなさんも、古代中国・秦王、不世出の英傑に思いを馳せてみてくださいね。
天界・神界の言では、
則天武后(武則天)というヒトは、一言でいうと・・・
「かなり垢抜けておしゃれでやっかみ深く、かなり頭がキレる人・・・」
とのこと。
天界・神界からのヴィジョンでは・・・
則天武后(武則天)
(どちらかというと・・ しっかり者顔の大昔の日本人女性顔・・?)
「見た目麗しいタイプというよりも、派手でおしゃれで頭脳派の、残忍でわがままな女性。」とのこと。
かなりたくましくギッチリとお化粧をするような人らしいんだけど、伝達によれば、男性の気をひくのはほどほどにしておいて、どちらかというと理知的な人なんだ、ということらしいのですよね・・。
かなりね、頭で考えるタイプ・・・。
かなり残忍な粛清や拷問刑をし、しかも、それは政治的な正当な理由によるものではなく、私怨(個人的な恨みつらみ)から行った、というのですね・・。
(だから、あまり良く評されていないのかもしれません)
ヴィジョンでは石の中に閉じ込められた則天武后が視えるんですよね・・。
??・・
(どういうことかというと、”石のフタ” をしてしまう刑罰・・ というのをだいぶやったようなんだとか・・??? 圧死・つぶしちゃう・・ってことですかね・・)
※なんで、「石の中に閉じ込められた則天武后が視える」のかというと、自分の犯した罪業を亡くなってから贖っている、ということなんですが・・
拷問刑については、他にもやっているんですが、具体的内容は恐ろしいので割愛しますが・・
「あまり色恋だとかそういうのではなく、残忍でわがままで暴虐な女性・・」とのこと。
あとは、いい加減なことは許さず、かなり頭が切れて残忍でハードでタフな女人・・
二代の皇帝(太宗・高宗)にわたって妃として仕えたなんて、
そのような頭が切れて冷たいような女性に男性が惚れるものかな~(´・ω・)??とわたしがギモンに思っていたら・・・、
(天界・神界):「男を支配できる女性・・。 すべからく、男の気持ちを掌握しコントロールする術(スベ)を心得た女性・・・(怖!)」
中国ドラマ『武則天』では、絶世の美女ファン・ビンビンさんが演じてらっしゃいましたが、
霊能伝達によれば、ドラマ中のあのようなやさしくて頭の良いタイプ、というよりは、かなり冷たい感じの頭のキレるタイプ、という伝達でした・・・!
則天武后、といえば、
「自分の女児を殺害して、その罪を他の妃になすりつけ、排除した・・!」、というエピソードが有名ですが、
霊信によれば・・・
「それは、則天武后が直接女児を殺したわけではなくて、侍女が誤ってその子を落としてしまって頭を打ち付けてしまって亡くなってしまった(侍女の過失)・・・、それで、その機をとらえて邪魔な妃を陥れた・・」というのです・・・。
(もちろんそんなことどの歴史書にも出てないんでしょうが・・ あくまで霊能伝達ですけどね・・)
(則天武后ご本人いわく、「自分が子を殺したと、周囲が勝手に思い込んだ・・」というのですよね・・。)
確かに、どんなに残忍でも、自分の子を殺めるのはおかしいですし、しかも皇帝との子供ですしね・・。
確かに、それは本当なのかもしれません・・。
こんにちは エティースです。
同居のスピさん達と以前いっしょに見ていた動画でよかったものの一つに、『賢后 衛子夫』 があります。
衛子夫、というのは、それまで全く知らなかったのですが、
衛子夫(えいしふ)というのは、、前漢の皇帝・武帝の后で、低い出自(身分)から、皇帝の寵姫となり、皇后まで登り詰めた女性です。
霊視により、実際の衛子夫やその周辺人物たちが実際はどうだったのか、ヴィジョンにより、実際の容姿やパーソナリティーを視てみましょう・・・。
●衛子夫 ・・・ 古代中国で、大変低い身分から皇帝の寵姫となり、皇后まで上り詰めた衛子夫______。
いったい実際はどんな女性だったのか、非常に興味ありますよね。
後漢の武帝の寵姫となり、皇后まで登り詰めた女性の容姿も含めて非常に気になるところです。
パラレル・ワールドによれば、非常にクセのある顔・・
ヴィジョンによる実際の容姿は ・・・、
「求心的なネコのような顔」
これがですね・・
わたし的には、モンゴル女性特有のクッキリ系の顔の漢民族版・・ とでもいいましょうか・・
美人というよりは、かなり特徴のある求心的なクッキリ系の顔です。
頬骨のぷっくりした丸顔ですが、歌妓(※歌や舞を披露する) だったせいか、痩せ型の小さい顔です。
ですので、ドラマ中では、なごみ顔のワン・ルオダムさんが演じてらっしゃいましたが、ヴィジョンによる霊視では、印象がまったく違います・・!
古代の美人の基準はどうか知りませんが、ヴィジョンでは、いわゆる ”美人” ではありません。
(パラレル・ワールドの伝達でも、やはり古代中国の美人の美人基準でも、どちらかいうと美人ではなかったようです。)
母親は非常に身分の低い婢(=奴隷、のことだと思います)の娘が、皇帝の寵愛を受け、皇后にまでなるなんて、尋常ではありません。
中国や韓国の歴史で、まれにそのような女性(低い身分から身を起こす)がおりますが、バカでは絶対になれませんので、そのような女性は、やはり、とても頭の良い女性だったはずです。
(容姿などだけで、時の皇帝の寵姫となって権勢を奮うタイプもおりますけどね・・)
パラレル・ワールドの霊視では、類まれなる才気ある女性、ということです。
計算づくの頭脳派、というよりも、才能あるタイプ、ということでしょう。
霊視ではなく、歴史的史実でも、武帝は、非常に才気・才能ある人材を好み、身分を問わず重用したそうです。
おそらく、武帝は、衛子夫の才能をとても高く評価し、そういった才能を含めて寵愛したに違いありません。
●衛青(えいせい)
私は、『賢后 衛子夫』の物語の最初のほうは、衛青役のシェン・タイさんの容姿が、ちょうど・・兵馬俑そっくり・・!と思って、ちょっと面白系の顔のように思えて、衛青という人物にあまり注目していなかったのですが、
物語が進むにつれ、衛青という人物が男性として非常に魅力ある人物に思えてならなくなってしまいました・・・!。
ヴィジョンによる実際の容姿は・・ いかめしい角ばった顔の、しっかりした顔立ちのがっちり系の大柄な武人。
(・・ですから、劇中で演じていたシェン・タイさんの青年のような容姿とは全く違います・・!
パラレル・ワールドによれば、当時の古代中国での美男子の基準は、ガッチリ系の男子だったんだそうな・・^^;)
やはり、古代中国の乱世で女性にモテる好男子の条件は、・・・ズバリ、ガッチリ系の強そうな男性・・!
なるほど・・!
●衛媼(えいおん)
姉は、皇后にまで登り詰め、弟は、軍の兵権を一手に収め大将軍にまで出世した、そのような子供を産んだ母親のパーソナリティーや教育もとても興味深いものがあります。
衛子夫・衛青の母親は、身分は、婢の女性で、被征服民=つまり、戦争捕虜などの子孫・犠牲者の奴隷なのでは・・? と思いましたが、パラレル・ワールドが伝えるところでは、非常に身分の低い下女 (婢=はしため) ということでした。
一介の婢の女性の記録など後世に残っているはずもありません。
皇族となった衛子夫でさえ、絵姿すら残っておりませんので・・。
そんな一般に知られることのない、パラレル・ワールドが伝えるところによる衛媼さんの実像は・・
飛び抜けて美しく、才能ある女性・・とのこと。
つまり、婢でありながら、飛び抜けて美しい才能ある女性・・
パラレル・ワールドからの伝達・ヴィジョンによれば、衛子夫の母親・衛媼(えいおん)という人は、低い身分ではありながらも、顔立ちの整った化粧を全くしなくても、きれいな女性、という感じですね。
化粧バッチリタイプの衛子夫とはまさに対照的・・!
(※実際に同調してくださった衛子夫さんの魂が伝えるところによると、
「化粧パフで、パタパタっ」というしぐさをしてくださいました・・驚^^;/)
パラレル・ワールドが伝えることろによれば、衛媼(えいおん)さんは、
とくに絵に秀でた才能があり、
もし世代と好機が合えば、武帝でさえも、その才を認めただろう、寵姫にもなれたであろう・・、というような女性だったようです。
衛氏一族の優秀さは、DNAの成せる技だったようで、
子供たちが揃いもそろってその時代でそれだけ出世したり、抜きん出ているということは、
おそらく情操教育(家庭での教え)もさぞかしすばらしいものであったことは、間違いないと思うのですよね。
劇中でしばしば歌われる、
「富むも楽し貧するも楽し
甘きも楽し苦きも楽し
苦き甘きも 安く楽しく
一家が睦み 心を強く」
これは、真実だったのでしょう・・!
衛媼さんのように、容姿も美しく才ある心も豊かな素晴らしい女性が身分制度と時代性に抑圧されていたのは、大変残念なことです。
●前漢という時代背景と妖術(霊感)?
劇中でも取り上げられているのですが、この物語の一つのキーワードである 「占い・妖術」について触れてみましょう。
武帝自身も、そのような不思議なモノに大変興味を持っていたようです。
私のような心霊世界の同調者(※私の場合は審神者<さにわ>)というのは、人類始まって以来、古くから世界各地におり、その不思議な心霊世界のメッセージ伝達により、それは、霊感占い師であったり、時の権力者のアドバイザーのような位置付けで存在していたのだと思います。
このドラマの主人公・衛子夫さんは、武帝の寵愛が他の後続の妃に移るにつれ、衛子夫さんを排除しようとする勢力(江充)により「巫蠱の禍(※皇帝に呪術をかけた嫌疑)」(wiki・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E8%A0%B1%E3%81%AE%E7%A6%8D)の関係により、自殺を強いられ亡くなる、という悲惨な亡くなり方をしています。
武帝自身、そのような心霊的な不思議な力や神的能力に非常に興味があったようで、このドラマ中にも
楚服(そふく)という女性妖術師(巫女?霊媒師?)が出てくるのですが(実在の人物)、腰斬刑(ようざんけい)という残酷な腰を大きなノコギリ?様なモノで切断する刑で亡くなっているのですよね・・(かなり怖い終わり方・・)
<<パラレル伝達「楚服(そふく)」>>
「たゆまぬ努力により妖術を習得。小虫を使った毒を作り、陳皇后に渡しそれを衛子夫に飲ませるはずが叶わず、他に陥れる策に呪術をもって手を貸した大逆罪により刑死した・・」
私:「霊能者みたい・・?なのだったんですかね・・??」
パラレル:「呪術者。呪術者というのは、霊感や霊能力がなくてもできるが、楚服はかなり先を見通せる霊感があった。・・が、無残な最期を迎えてしまった・・。その力を逆に武帝を導くような使い方をすればそんなことにはならなかったかもしれない。悪事にその力を使ったゆえ、残忍な最後を遂げた・・」
・・というんですよね・・。
現代の先進国である日本であれば、このようにわりと安全に情報発信もできますけど、
古今東西、はるか太古から、霊の世界と通じた者は、時代と場所が悪ければ、ひとつ間違えば、非常な危険(命にも関わる)にさらされるリスクがあるのです・・(大~~冷汗;;;;!)。
『王女 未央』、家族スピさん達とわくわくしながら観ました。
実は、『王女 未央』、最初1、2ぐらいは、さほどおもしろいと思わなくて、主演のティファニー・タンさんもそれほどきれいと思わなくてノーマークだったのですが・・・
なんと主演のこのお二人(ティファニー・タンさんとルォ・ジンさん)、ご結婚されたそうなんですよね^o^/
なんかヘンな入り方だったのですが、「へーーー」っと、なぜかそれから気を入れて見るようになって、そのうちにティファニーさんとルォ・ジンさんの見た目の美しさと物語の面白さがよく分かってきたの・・。
いやいや~ 美男美女ですよねぇ・・(うっとり・・)。
もうそれからは、『王女 未央』にどっぷりはまったのでした・・。
さて、霊視に入りましょう・・。
この物語で霊視したい人物は、おもに二人、未央(文成文明皇后=馮太后)と文成帝を中心に実際の登場人物や時代背景などパラレルの神様に教えてもらいましたよ・・!
(※まず、その前に、参考資料として、下記のウィキペディアの概要をお読みください↓)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%88%90%E6%96%87%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E 以下、wikipedia より抜粋:
文成文明皇后
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文成文明皇后(ぶんせいぶんめいこうごう、442年 - 490年9月)は、北魏の文成帝の皇后。馮太后(ふうたいごう)と称されることが多い。
生涯
父は秦州・雍州刺史馮朗。母は王氏。父の家系は五胡十六国時代から南北朝時代初期にかけて遼東を支配した北燕の皇族であるが、この北燕は北魏により滅ぼされ、馮朗は北魏に降って重用されていた。しかし馮朗は罪を問われて誅殺され、身寄りをなくし幼かった馮太后は、北魏の太武帝の左昭儀(後宮における称号で皇后に次ぐ地位)だった叔母の馮氏に従って後宮入りした。14歳の時、太武帝の孫で第5代皇帝である文成帝の貴人となった。後に皇后となるが、文成帝は465年に若くして崩御し、彼女は悲しみのあまりに文成帝の遺体を火葬する際に火中に身投げしたが救出されて一命を取り止めた。
文成帝の跡を継いだ息子の献文帝の代には、義母として皇太后として補佐にあたった。しかし献文帝が成長するにつれて対立が生じ、皇太后は献文帝を脅迫して471年には息子の拓跋宏(孝文帝)に譲位させた。しかし献文帝も報復として太皇太后が寵愛していた家臣李奕を殺害したため、476年に献文帝を毒殺し、北魏の政権を完全に掌握した。
太皇太后は抜群の政治手腕を見せた。484年、同姓不婚・俸禄制・均田制・三長制・租調制など様々な政治改革を行ない、北魏の全盛期をもたらした。一方で丞相乙渾など政敵に対しても容赦なく処分し、謀反の目を事前に摘み取る切れ味も持っていた。
晩年の太皇太后は寵愛する家臣だけを側に侍らせ、斉の使者が美男子だったことを知ると自らの宮殿に閉じ込めて帰還を許さなかったなどの行状も伝えられている。490年9月に死去。享年49。
人物
文成文明皇后は事実上の北魏の女帝として抜群の政治力を見せている。彼女の施策は孝文帝により受け継がれ、北魏は全盛期を迎えることになった。
異常に権勢欲の強い女性であったと列伝に記録されている[1]。
文成文明皇后と孝文帝[編集]
母子説
文成文明皇后と孝文帝は系図の上では血の繋がりは無いとされている。ただしこの両者は母子だったのではないか、とする説がある。
孝文帝が生まれた467年、父親とされる献文帝は満年齢で13歳で、当時とはいえ子を成すには早すぎるという点[2]。
太皇太后の死後、孝文帝が義理の祖母のために重臣の反対を押し切って、中国で本来は自らの父母に対して服する喪である「3年の喪」に服した点(ちなみに孝文帝の生母とされる思皇后李氏は太皇太后により殺害されている)[2][1]。
孝文帝が太皇太后の死去まで自分の産むところを知らなかったとある点[注釈 1][1]。
孝文帝が太皇太后の一族を厚遇する一方で、自らの生母とされる思皇后と李氏の一族を冷遇した点[注釈 2][1]。
権力欲が異常に強かったとされる太皇太后であるが、467年に孝文帝が生まれると同時に、何故か彼の育児に専念して政務を一時的に離れている点[1]。
当時の史書が太皇太后と孝文帝の関係を「母子」と表現している点[1]。
父親は誰か
孝文帝の父親は献文帝とする説が根強い。これは当時、皇太后の勢力が伸長してその圧力があったとしても、北魏を支える鮮卑の重臣が皇位継承の正統性のない、あるいは疑わしい太子への譲位を認めるはずがないからである[3]。献文帝が太皇太后の圧力により譲位を余儀なくされた際、献文帝はせめてもの抵抗として叔父の京兆王拓跋子推に譲位しようとしたが、鮮卑重臣の多くが「父が子に位を伝えるのは古来からの定めであり、北魏においてもしかり。皇太子は正統にして聖徳はつとに明らかである」と反対し、孝文帝への譲位を求めている[3]。太皇太后の没後から6年後の496年に孝文帝の漢化政策に反対する鮮卑重臣が反乱を起こし、その際に反乱軍は孝文帝の皇太子の元恂を旗印にしているが、孝文帝の政治路線に反対する派閥がそもそも正統でない孝文帝の長男を擁立している点なども考慮されている[3]。ちなみに太皇太后の夫であった文成帝の可能性は全くない。何故なら文成帝は465年5月に崩御しているからであり、467年8月に生まれた孝文帝の父親としては説明がつかない[4]。
献文帝は467年の段階で満で13歳、皇太后は26歳であった[4]。ただ、北魏の皇帝は多くが若年で子を成しており、献文帝は父親が15歳の時、文成帝は13歳の時に子を成しているので別段不思議でもない[4]。これはすなわち胡族の間にある、父親の生前の夫人がその跡を継いだ子の妻となるという風習(生母は除かれる)、つまりレビラト婚の風習だったのではないかとされている[4]。
ただ一方で、献文帝は太皇太后により毒殺されているのに、孝文帝が何故生前ならともかく、没後も太皇太后やその派閥や徒党を処分しなかったのかとする疑問もある[5]。これに関しては、漢化政策を推進する孝文帝が人一倍孝養の念に厚かったため、とされている[5]。
↓ さっそく、神様(天界・神界)に霊視で視せてもらいましょう・・!
●未央(文成文明皇后=馮太后)
まずは、ヴィジョンにより視せていただいた実際の文成文明皇后なんですが・・
っっ・・ 小柄な少女のような容姿・・(中華系というよりも、日本人的な落ち着いた幼い顔立ち。一重まぶたでも目は小さくなく、少女のような落ち着いた淡々とした品のある顔立ち・・なかなか賢こそうです。※注:入内した頃のヴィジョン※)
パラレルの神様のお伝えするところによれば・・
「”中学生”のような容姿の女性であるが、頭はピカ一。軍略家的な素養のある女性。」とのこと。
この ”軍略的な素養のある” という箇所をよく覚えておいてくださいね、後々説明しますんで・・
●文成帝
ウィキディアによれば、仏教を保護し、おだやかなイメージのある文成帝ですが、パラレルの伝達によれば罪には相応の極刑を課す、という容赦ない面も持っていたようですが、安定した治世を築いた。
(※為政者には、いろんなタイプがいますが、正しい政治を行った帝ですね。)
中華系美男子ルォ・ジンさんが演じていましたが、実際は・・
「ずんぐりしたおじさん」のような容姿の男性・・。
(若くして亡くなられていますけど、おじさんのような容姿の男性だったようです)
(身だしなみをちゃんとした衛生的なタイプだったみたい・・ えぇ まぁ やんごとなき御人なので・・・ )
●李長楽(チャン・ルー)
李貴人のことなんだと思います・・(献文帝のお母さんの・・)。
実際の李長楽は、わりあい社交家で気取らず、派手な道楽好きの女性・・、とのことです。
な、なるほど・・。いわゆるあか抜けた気の利いた女性、、とかそんなところですかね・・。
↑
ドラマでは悪女として描かれてますが、とんでもない・・
うーーん・・、
ドラマと実際では、ストーリー設定がだいぶ違うところもあるようですが、
(!!※馮太后と文成帝さんお二人の御霊は、ドラマと史実があんまりにも違っている!、もう少し史実に近いドラマはないのか・・!!と訴えております・・!)
実際は、未央は、李家に入っていたというのはもちろんナシで、叔母の馮氏が魏の皇帝に嫁いでいた=つまり、魏の有力皇族の姪っ子だったわけですね。未央は、北燕の皇族の娘、にあたるのですが、北魏に滅ぼされ、父の馮朗は罪状により殺されて、身寄りを亡くした幼い未央は、北魏皇帝に嫁いでいた叔母の左昭儀・馮氏のつてで北魏の宮廷に入ったのですが、左昭儀・馮氏の権勢もあり、北魏の宮廷でもずいぶん可愛がってもらったようなんですよね・・霊視によれば・・。
文成帝も、「かわいい」って思ったみたい・・。
その縁故で魏の後宮に入ったわけだから、そんなわけわかんないアドベンチャー的設定で李家になぞもちろん入っていなくて、
滅ぼされた属州の有力貴族の娘が、普通に魏の後宮に輿入れしたわけ・・。
由緒正しい人なんですよ・・ 馮太后は・・。
(ちょ~っとねぇ、ドラマを盛り上げようと、設定が実際とすごく違っているようなんですよね・・)
(↑お二人も、そこの辺りが不満みたい・・ ドラマ自体はおもしろいですけど・・)
私はね、物語を離れてウィキペディアで語られている ”史実” のところで、もしかしたら、実際は、文成帝は、側室である李長楽のほうを寵愛したのでは・・? なんて思ってたんです・・。
(李貴人(=李長楽)は、史実※伝えられているところによれば、大変な美女で有名だったようなので・・。)
ですが、霊視によれば、実際の文成帝はフェミニストで、公平にどちらの女性も大事にしたそうなんです・・(驚! 珍しいですよね・・ 普通、中国の後宮、というと、かならず皇帝にえこひいきされる ”寵姫” ってのがいるもんです・・)
女性には、公平にやさしいタイプだったようですね・・ 文成帝は・・。
(文成帝ご本人と同調して繋がったので、どちらを愛していたのか聞いてみました・・!
答えは ・・・
なんと馮太后なんですって・・!)
というのはね、パラレルの神様が説得力のある説明をくださったんですが、
さきほど、文成帝は、 「ずんぐりしたおじさん」のようなルックス、と書きましたよね。
そんなこともあってか、
文成帝という人は、いわゆる女性に溺れるタイプではなく、
馮太后のような誠実なタイプを好ましく思っていたのだとか・・。
皇帝という立場におられましたが、まじめな誠実な男性だったようです。
(仏教の信仰心篤く、北魏の民をねぎらい良い国にするため善政を敷いたパラレルの神様にも覚え目出たい良い帝だったそうなんですね。)
李長楽(チャン・ルー)は、蝶よ花よ・・と華やかな派手な男性にモテるタイプなので、大事には接したようですが、タイプ的には馮太后のそのような誠実さをとても自分と近い者として好ましく思い、愛情を注いでいたようなんです・・
だけどね、容姿的なことで書き連ねていたら、文成帝さん、怒っちゃいましたけどね・・(汗;(゚Д゚;)ヤバイ)
そ、それでね・・、
「孝文帝=※文成帝の孫、の父親は誰か」というウィキの説明にあるように、
文成文明皇后と孝文帝の親子説、文成文明皇后と献文帝のレビラト婚による親子説など、
いろいろ憶測されているようですが・・
霊視によれば・・
未央さん、自分の祖国(北燕)を滅ぼされ、北魏の後宮に入り、文成帝の妃となるのですが、
子供ができなかったんです・・
(*国は違いますが、韓国の朝鮮王朝の正室の方など、子供ができない人ってけっこう多いのです・・)
で、未央さん、子供ができなかったものだから、
「自分の子ではなくても、夫(文成帝)の子供たちを一生懸命かわいがろう・・」と思ったようなんですね・・。
(すごく頭のいい人で、”軍略的な素養のある” 人だから、そういうのももちろんあって・・)
で、
しかも、しっかりちゃんとした帝位につける素養のある子供を見込んで、自分の子供のようにかわいがったのだとか・・
献文帝は、李長楽(チャン=ルー)の子で、折り合いが悪くなり敵対してしまうんですが、
献文帝の子である孝文帝は、未央から見れば、子であり孫のような感じだったのでしょうし、そうやってすごくかわいがってもらったし (だから太后の死後も考を尽くしたのでしょうし・・)、
だから、
孝文帝は、
夫(文成帝)亡き後、 ”軍略的な素養” から、
”布陣を敷き” 、絶対的揺るぎない確固たる地位を築いていた馮太后の言いなりというか・・、そういう感じだったみたい・・。
この『王女未央-BIOU-~錦繡未央』というのは、
中国のネット小説『錦繡未央』を元に作られたようで、
「錦繡」というのは、わたしは中国語は分からないですが、
”すばらしい” とかそのような意味ですよね・・
中国王朝の後宮で子供がいない、ということは、圧倒的不利な状況ということですし、
ふつうであれば、勢力争いからは疎外されるか、ヘタすると自分も潰される・・
後継者争いで陰謀渦巻く王朝の後宮で、頭脳戦により、自分の地位をしっかり固めながら、政治的にもお得意の ”布陣敷き” で国家政策を行い、盤石な体制を築いた・・
(※王朝史で、女性で子供なしでこのような権力を手中にできる例は珍しい です・・)
まさに ”「錦繡」” で、
頭がすごくいいだけでなく、まじめでさっぱりした正しい性格のすごく良い性格の女性だったわけ・・
だから、私、そういう馮太后さんの正しい性格、すご~く好きになっちゃって、
文成帝さんのフェミニストで誠実で愛情深いやさしい性格も好ましいし、
同居のスピさん共々、皆で、
馮太后さんと文成帝さんのカップルの御霊がとこしえに幸せであるように、
祈願しているのです・・・。
野の花が似合う二人・・・
(実際は、素朴な感じのお二人なんです)
でね、後になって、
馮太后さんに関して、
とてつもない悪いこと が分かったの・・・。
(それは、文成帝さんを激怒させることなのですけど・・。。)
文成文明皇后(馮太后)については、『王女 未央』の内容に合わせて、このドラマの物語 の ”雰囲気” を壊さず、楽しむために、とりあえず今回はここまでの内容に留めます。一回ではなかなか書ききれない面がありますので・・
非常に興味深く、
まだいろいろと気になることがありますので、
馮太后さん(文成文明皇后)については、
今回を「前半:」として、また今度、別記事で(後半として)書いていきたいと思います・・
阿勒邱、という女性は、「ナシ族から出世した賢くて美しくて性格のよい正しい理想的女性」として後世に伝わっているようですね。
つまり、中国のナシ族、という民族の伝承の中で、
「理想の美しくて賢くて性格も良いすばらしい女性」、
つまり、ナシ族女性のあこがれの女性、として語り継がれているようです。
どのような女性だったのか、霊視によれば・・
木増さん(霊)の言をお借りすれば・・
「も、もうね・・ そこに立っていてくれさえいればよいような・・美しい女性・・」だったのだとか・・。
木増さんは、容姿的にとても気に入っていたようです・・。
阿勒邱役の女優さんは、韓国人女優のチュ・ジャヒョンさんでしたが、
実際の容貌は・・
霊視では・・
「顔が小さく、目がぱっちりした、明るい顔立ちの女性・・」とのこと。
阿勒邱役=チュ・ジャヒョンさんの顔立ちは、目がパッチリというよりは、奥二重でキリッと引き締まったシャープな、”賢い” 感じの顔立ちですもんね・・)
霊視によって、視せていただいたお顔は・・
一言で言うと・・、
今で言う、いわゆる
「きれいな おねえさん」
という感じ・・。
余談ですが、『絢爛たる一族』の中で、私が一番「美人だな~」と思ったのが、阿照さん役女優(苏倩薇)さんがとてもおきれいだと思いました(ミステリアスな一重まぶた美人、というのかな・・)。
”阿照” 役というのも、ドラマ中の設定ですよね・・
●木 増
やっぱり、”木府” といえば、「木増さん」なのですが、一番の重要人物(中心人物)というか・・
(そんなこといったって、私だって、このドラマを見て初めて知ったのですが・・ ^^;)
(「麗江古城」、というのも、知っている人は知っているのでしょうが、私はこれまで全く知らなかったんで、生きているうち、もし機会があれば、ぜひ皆で訪れてみたい、と思いました・・!)
パラレル・ワールド(天界・神界)の霊視によれば・・
木増さんは、生来、頭が良く、性格のあらゆる点で、親(父親)に瓜二つな所があって(←ここら辺の性格的描写は、ドラマでも同じように表現されていましたね。)、
それは、体は別でも、心は全く同じ人物・・かのような感じで、親子してとてもよく似た考え方をする人物だったらしいのです・・。
(↓以下、しばらく、天界・神界の神様の独壇場=つまり ”一人語り” がしばらく続きます・・^^)
木青さんは、木増さんが子供の時分に、
(木青):「ここにある木を植えようとしていて、実が成らなかったあかつきには、ここの木を切ってしまおうかと考えたことがあったのだが、(実は付かなかったけれども)花をつけ、このように美しい花のなる木々が育った、だからここで花や実を育て、それをお前にあげるから、それを慈しむようにと、”木増” と名付けた・・。だからお前には、ここ(麗江)にいて、木府の土司として、木や花・実(自然の美しい麗江の地)を愛し守り抜く使命があるのだ・・。」
「麗江には、ナシ族の言い伝えの残る霊峰=※玉龍雪山があり、そこの雪解け水を利用する、生活用水路が発達し、麗江の地を潤した・・というんですよね・・。」
(わたしはよく知らないが、神様がおっしゃるには・・)
でね、麗江古城という地域一帯は、そうした自然の恵みを大いに利用した地形なのだが、
それはね、とっても、外敵侵入にもよく役に立った・・。
つ、つまり、木青さんが増やした木を木増さんがさらに増やしたように、
とても繁栄したわけよ・・ 第19代土司・木増さんの代に・・・!
それで、それは、明の朝廷から一目置かれるほどの麗江地方の大豪族だったわけ・・。
=============================
・・それでね、阿勒邱さん、というのはね・・
麗江地方のある地方豪族のお嬢さんで、(←※ええとね・・ 私の語りではなくて、まだずっと神様の一人語りが続いているのですけどね・・汗;)なかなかね、見目麗しいはっきりした顔立ちのおやさしい美人だったのでした・・!
(木増さんが、木府※麗江の城※の外にいる時に出会ったようです・・)
だからね、木増さん・・ 惚れてしまったの・・ 一目で・・!
目がぱっちり・・!@@/ で、かわいらしくてやさしそうで・・
だらかね、要は「一目惚れ」だったのよ・・!
私のそばに置きたい・・! ってね/♪
(↑↓==ええと^^; まだまだ続きます ”神様※精霊さんの一人語り” ^^;汗↑↓・・・・・・・)
・・でね、二人は婚礼を挙げたワケ・・ でもね・・ もうすでに木増さんには、すでに、3~4人(側室や側女含め・・)がいたの・・。
中でも、阿室宇(正室) は、なかなかやり手の頭の良い小利口な女性だったわけ・・。
だけど、阿勒邱さんは、上手にうまく立ち回ってやり終えたの・・ 土司・木増さんの3、4番目(※身分的な序列だとか・・)の妻として・・。
だからね・・ 阿勒邱さんは、そんなにね・・・゚゚・。 ドラマのように、唯一人の妻、というわけじゃなかったんだけど・・、それはもう、寵愛も深くて、やさしい愛情を注いでもらっていたの・・。
だから、 ”特別” というわけじゃなくて・・
。。そうね。。 やっぱりね、他の妻の女性達にも同じようにやさしいんだ・・ 木増さんて。。
そのように やさしい人・・
阿勒邱さんはね、そんな木増さんを、やきもきしながら見ていたんだ・・本当はとってもやっかみ深い・・(← この辺は、ドラマとはまるで違いますよね・・;)
↑以上、神様の一人語りおしまい・・☆
(※子供のような語りでしたが、今回は、わたしが急いで取りまとめようとしていたために、
神様が、より早く伝わりやすいかと今回は神様の声が途中から変わって、精霊さんの声を借りて続きを伝達されたようです・・@@;/)だから、最初は神様の声だったのが、途中から精霊さんの子供のような声音に変わったのでした・・。
=============================
●木 青
すごーーーーーーく 気になったの 木青さん。。
木青さんは、木府の世襲土司(世継ぎ)としてやんごとなき人生のはずなんですが、なぜか、30歳以前に早世されているんですね・・・。
(ドラマ中では、弟との相続争いに悩み、自殺する・・ という設定でしたが・・)
でね、霊界の神様や軍荼利明王様、上座部菩薩様、天界・神界の神様。。などなど
総動員で視てもらったんですが・・
パラレル・ワールドが伝えるところによれば、
木青さんは、大きな苦悩を抱えていたのだとか・・。
それは、
「麗江の地とナシ族の民族の文化・伝統が、明朝(朝廷)の漢化により滅びてしまわないか・・」
という大きな懸念だったようです・・。
う~~ん。。 なるほどーーー!!
けっこうね・・ 思い詰めるタチだったみたい。。
いろんな事で・・
先ほどの、ナシ族の伝統文化の存続もそうですが、
自分は文人で、書ばかりやっていて、麗江の民衆の支持を得られていない、
という焦り。。
などなど。。
本当はね、出家して隠遁したかったみたい。。
だけどね。。
でね、さらに
何やら重い病(筋ジストロフィーのような?)に冒されていたようで、
そんなこともあり、玉龍雪山の句を残して、出奔し、服毒自殺をして亡くなった・・
ということらしいんです・・・・・。
悲しすぎます・・・。
木青さん・木増さん、共に、
ナシ族や麗江についての、たくさんの書を残されたようで、
お二人とも、麗江地方とナシ族の文化・経済の発展に貢献されたようです。
●阿室宇と安虎とのロマンス設定
(わたし):「ドラマ中の、阿室宇と安虎とのロマンスですが・・」
(パラレル):「あるわけないでしょー!! 木府の第一皇妃様ですよ、ありえん・・。」
(わたし):「ですよねー!!」
(パラレル):「でも、もしかしたら、安虎のような”義賊”的若者というのは、当時いたのかも・・」
(わたし):「でも、なぜね、『絢爛たる一族』の中で、阿勒邱だけが、第一夫人、のような形にしてまとめたのか・・? それがギモンなんですけど・・。」
(パラレル):「ナシ族の、”「純愛伝説(「心中」)」” 的側面を強調したかったんじゃないか?」
=わたしの”付け焼刃”的(笑)歴史知識で調べてみると・・・。=
確かに、ナシ族の伝承として・・
「『絢爛たる一族』というのは、明代に、麗江の地を治めた木府一族の物語なんですが、
明代に入るまでは、
ナシ族という民族は、自由恋愛だったのが、明代の朝廷の体制で、自由恋愛が禁止になった。
で、ナシ族の若者には、純愛を貫くため、自殺する者も多かった。。」
という伝承があるようなんですよね・・。
(ドラマ中では、阿勒邱と木増さんが、雪山で心中するシーンがありますよね・・)
ナシ族というのは、そういうのを大事にする民族なんだなぁ。。
ステキですね。。
霊視により視せていただいた阿室宇さんは、すごく美人だと思いました・・!
(日本的美人で、若き日の松坂慶子さんは妖艶すぎるけれども、もうちょっと化粧が薄い感じできりっとした理知的な顔立ちの美人だと思いました。感じが伝わったかしら・・。)
_______________________________________
で、ドラマ中では、木隆さんとの確執と謀反未遂や、西和の木府への復讐劇、など、軍部が暗躍したり、そのようなシーンもありましたが・・
神様の伝達では、木増さんの代は、ほんと~~うに平和だったのだとか・・。
(☆何世代も麗江の地を治めた木府一族の、まさに、お父さんの木青が息子の木増に伝えたように、
明代に入って第19代土司・木増の時代に木々がたくさん実るように、麗江の地が文化的・民族的に、最大限に発展した、ということですね☆)
(もちろん阿勒邱が西和の姪で、木府への復讐のために送り込まれた、とかというのは、あくまでもドラマ中での設定です。)
いやいや~
神様とパラレルの伝達が盛りだくさんだったために・・
・・わたしの疲労が極限に達し、、
(神様たち「どっ」/笑 ^^)
中国歴史ドラマ『麗王別姫 〜花散る永遠の愛〜』は、
テレビ(BS)や動画配信サービスなどで観ることができます。
動画配信サービスで観たい場合、多くの動画配信サービスで1ヶ月程度の無料お試しをやっているところが多いので、お目当ての作品をやっているかどうか確かめることができます。
『麗王別姫 〜花散る永遠の愛〜』は、
唐の時代、玄宗・楊貴妃 ~ 粛宗 ~ 代宗、の時代に起こった安史の乱などをテーマに描いた物語なのですよね・・。
主演のジン・ティエンさんや女性陣の ”唐美人” の装束がとても美しかったし、李淑を演じた俳優さん(アレン・レンさん) も劇中のイメージが合っていたかと思います。
まだお若い俳優さんなんですけど、
後半の感情の演技表現がすごく良く表現できていて演技がすごくよかったですよね。
(最初、李淡役に決まっていたようですが、監督から、李淑のほうがイメージが合っているからと、そちらに代わったそうなんですよね・・驚)
戦闘シーンの立ち回りもとてもリアリティがありましたし、
この時代は、こんなに動乱の時代だったのかと思いました。
●沈珍珠
伝えられる史実によると・・、
沈氏は、安史の乱にはじまる動乱期に行方不明になり、代宗(李淑)と二人との間の子である李适(後の徳宗として即位する) が懸命に探し回ったにも関わらず見つからなかった・・、
と伝わっているようです・・。
霊視によれば・・
沈氏がなぜ見つからなかったのかというと・・
行方不明後に、世をはかなんで出家し、名乗り出なかったから。
沈氏自身の御霊がそれを伝えることをとても嫌がっているため、
私も絶対にお約束したためその内容は書きませんが、
要は、世をはかなんで出家し、所在を知られたくない事柄が沈氏の身に起こった・・、
ということです。
母親として、お子さんである李适が徳宗として天子となったのが、せめてもの救いだったのかもしれません・・。
沈氏と李适(徳宗)さん、お二人の御霊を引き合わせ、御供物をささげ読経をあげました。
(お二人は、一緒にいて ”空白” となった時を埋め合わせたいようです・・。)
●李淡
粛宋の第3子で、張皇后と李輔国の陰謀により誅殺されてしまう。
李淡は実際の人物ですが、
劇中では、夫人の慕容林致という悲劇的設定の人物が設定されていますが、実際の人物ではなく、物語を盛り上げるための架空の人物と設定です。
実は、私が今回のテーマで一番興味を持ったのは、この李淡という人の誅殺の件だったんですね。
ですけど、パラレル・ワールドの霊視伝達によれば、
真実が明るみになると非常に嫌がるこの件に関わっている重要な人(※注:もちろん、亡くなっている人です)がいるため、その件に関する事の真相はここでは伏せておきます。
それは、身近な人物です。
●周辺部族との関係
唐と周辺異民族・回紇との友好関係が良く描かれていたのが良かったと思います。
葛勒可汗・黙延啜役の于小偉(ユー・シャオウェイさん、わりと中高年? 遅咲き?) が友情を好演してらしてステキでした。スピさん達も友情の演技に
●麗王(李淑=代宗)と独鈷貴人
この物語は、『麗王・・』とタイトルされるとおり・・
李淑 (代宗)
確かに、古代の人で、絵姿でこのような感じだとかなりの男前なのでは・・?、と思いますよね・・。
(霊視ヴィジョンでは、左目と鼻の間に目立つほくろがあり、仁王様に似た若干強面の顔立ち・・。絵姿はずいぶん上品にきれいにインテリ気に修正させたようです。あくまで、霊視ヴィジョンではありますが、見た目の顔は、まさに強面の ”武人” という顔立ちです。)
劇中で描かれる李淑のイメージ像は、一人の女性を一途に愛するタイプ・・でしたよね・・。
霊視により伝えられる実際の李淑はちょっと違うみたいで、、
・・女にモテる、かなり派手な豪胆な ”伊達男”。・・・
だそうです・・。 なるほど・・。
ちなみに、
独鈷貴人(独鈷精遙)は、劇中ではさっぱりした豪胆な武人、として描かれていましたが、
霊視では、
実際は、とても華やかで派手で女性らしい貴人で、武人なんてとんでもない・・。
非常に栄華を極めた高貴な女性だったようです。
劇中では、李淑を庇い、腹を怪我して子供が産めない、という設定でしたが、
実際は、一男一女に恵まれ、男の子は、「韓王」という地位に就き、李适(徳宗)との勢力争いにならなかったのかな・・?と疑問が浮かんだので、
パラレルのほうに聞いてみたら・・
(パラレル・ワールドの答え):「李淑は、もちろん独鈷貴人の男子を帝位に就けたい、という気ももちろんあった・・。
・・あったのだが、親(沈氏)を失った李适(徳宗)の孝心、その親への孝心が非常に深く、もしかして、この子が一番親への孝心がずばぬけて優れてある、それは母親に対してだけでなく、もちろん父親である自分に対しても・・・。 だからそのすばらしい孝心に免じてこの子を帝位につけよう、と思った。」のだとか・・。
なるほど・・。
もしかしたら、この物語のパラレル的隠れテーマは、
”孝心(親を思う心)・・・”
なのかもしれませんね・・